琉球列島の描く軌跡

琉球諸島は「琉球弧」と表現されることが多いです。

 

ツアーやブログの中でも、「ある時は海で分断され、ある時は陸続きであった弧状列島であることが琉球の生物学の一つの面白さだ」とお伝えしてきているところですが

 

さて、実際どのような円弧を描くのか??
その軌跡は何を物語るのか??

 

気になったので、白地図に様々な形状の円を書き込んでみましたが、九州~台湾に及ぶ琉球列島を一つの円弧で結ぶことができないことに気づきました・・・

 

どうしても先島地方だけ同一円芯上にこないんですよね~

 

ちょっと気になったので色々調べてみました。



(白地図上の2つの円弧)

 

円弧Aは鹿児島、奄美大島、徳之島沖縄島を通りますが、同一軌道上に宮古、八重山諸島は存在せず。

宮古、八重山を通る円弧を円弧Bとしました。

 

つまり。北琉球、中琉球の円弧A、南琉球の円弧Bの2つの円弧により、弧状列島琉球が成り立っていると考えられます。

 

調べてみるとどうやら列島の陸化した時期が大きく影響しているようです。



(文献を参考に作成した中生代白亜紀の琉球列島の略図/白が陸、青が海)

 

上の図のように、中生代の白亜紀頃(約1億年前)は琉球列島の多くは四万十地向斜海という海の底だったそうです。その海に西方からの土砂が堆積した四万十層群という地層が、円弧A地域の中琉球、北琉球には見られるが、円弧Bの地域にはないそうです。

 

つまり、円弧Aは四万十層を構成する堆積物の堆積面が描く円弧なんですねぇー

円弧B地域はさらに古い時代に堆積した地層が隆起してできたようで、円弧Aと円弧Bでは基岩となっている地層の堆積年代と堆積環境が全く違うから、不連続な円弧を描いているようです。

 

円弧Aと円弧Bの軌道の不連続箇所が南琉球と中琉球の境界であるケラマ海峡であり、生物相の境界線にもなっています。

その後の時代の中で、陸続きになったり分断されたりして、現存の生物相になったんですね。

 

生物分布から琉球列島を考えることが多かったですが、古地理学的アプローチをしていくとさらに視野はひろがりますね~