自然撹乱と自然撹乱

自然界の中では、数年に一度くらいの可能性で異常気象とも思えるような気象現象があります。日本各地でも起こっており、奄美大島の集中豪雨、土石流を伴った伊豆大島の災害、東北地方の津波などは印象深いです。

 

 

このような数年に一度の気象現象を、「50年確立最大雨量(50年に一度起こる最大雨量)」などの言い方をします。

 

 

この壮絶な気象現象は、人的生活環境という視点で捉えた場合、多くの命を奪う大規模な災害を発生させる危惧すべき事象です。

自然環境という視点で捉えた場合、環境を破壊するような大規模な撹乱を引き起こす事象であり数年に一度起こる自然現象と言えます。大規模な撹乱というのはある意味では、自然を豊かにするためには必要なものであり、撹乱により発達した自然環境が損なわれることで、一から(もしくは途中から)自然が成立する過程を踏みます。発達した自然の中では姿を見せないような動植物の世代交代が起こり、損なわれる以前のものとは少し違うものになっていきます。この過程の中で生物は進化し、現存のような形態や生態へと変化してきたと考えられます。

ある意味で、「自然災害」と「自然撹乱」は表裏一体と言えます。

 

 

この2つの視点からみた異なる観念こそ、現代社会の大きなテーマであると考えています。

大きな社会テーマとなっている「環境問題」を考える上で極めて重要なソースだと捉えています。

現代社会を生きる我々が、自然現象を的確に捉え、社会のあり方を考えていくことが今後の大きな課題ではないでしょうか。

 

 

自然撹乱を森林環境を例に見てみましょう。

鹿児島県大隈半島のある水系を見ていくと

 

 

 

 

沢山の土砂崩壊地が確認できます。

 

 

豪雨により土砂崩れが生じ、渓流部に堆積した土石が雨水により急斜面を流れれば、どんどん土石を吸収しながら大きなエネルギーの土石流を発生させます。

 



中腹部まで土石流が発生した痕跡も確認しました。

 

 

付近の谷部を踏査すると

 

 

過去に同じような土石の堆積があったと思われる箇所が何箇所かありました。樹の成長からみてそれぞれに堆積した年代はまちまちだと思われましたが、長い歴史の中で何度も同じようなことが繰り返されていることが想像できます。

 

 

崩壊箇所の踏査も行いました。

こちらは、崩壊斜面上部です。

 

 

少し離れて撮影すると、崩壊箇所と周囲の森林状況を比較できます。

 

 

 

 

この崩壊山腹面も、恐らく以前は周囲と同じような状況だったと思われます。

撮影当時の崩壊箇所では、わずかに草本類が確認できますが、ここから周囲の森林のような森へと変化していくことが想定されます。

 

 

ここで見ると分かりやすいと思いますが、周囲の森林では樹木が茂り草本類が侵入しにくいですが、光も当たり、土が雨で流れるので樹木が生育しにくいため、崩壊箇所では草本類が茂ることができますよね。

 

 

今後、森林が発達していくにつれて、初期に生育していた植物は競争に負けて姿を消していきますが、この環境に定期的にならないと繁殖することができない生物種(これを「撹乱依存型種」という)もいる。

また、この競争があることで生物たちは進化することできる。その例としては、ヒカゲヘゴなどがそうではないだろうか、日当りのよい斜面に生育するシダ植物だが、長い歴史の中で木本タイプの形態へと変化し発達した森林のなかでも光環境を得れる樹高を持っているのではないかと思う。

つまり、何が言いたいのかというと、一見自然が損なわれているように見えるかもしれませんが、この撹乱は生物の多様性にとって非常に重要な事象であるということです。




(樹高の高いヒカゲヘゴ:西表島)

 

 

 

さて、ここで人の暮らしという視点で考えるとこの土石流は下流部にとって恐ろしい事です。50年に一度、100年に一度の気象条件では大きな災害を引き起こす可能性があります。

 

 

当該地の下流部には、地域の基幹道となっている県道がありそれを保護するためと思いますが、砂防ダムが数基設置されていました。

 

 

 

 

また、近くの集落でも大きな砂防ダム??(又は治山ダム)を見ました。

 

 

こちらの写真なんか分かりやすいですよね、急峻な山の谷下流部に集落があり、堰堤(ダム)構造物が無かったら、豪雨の際に怖くて暮らせないですよね。

 

 

 

 

近年は、世間の自然環境への関心が高まっていつこともあり「これらの構造物は必要以上に大規模すぎる」と主張をされる方も多いですが、計算上、数年に一度の確立で起こる雨量に耐えうるような設計をされており、我々が安易にイメージできる雨量から守るための施設より遥かに強度の高い構造物なのです。

 

 

災害対策の公共工事の妥当性を考えると、いくらの費用(税金)を使ってどれくらいのものを守っている(又は経済効果を産んでいる)のかを天秤にかけることになり、一概にどうと言えない難しいところで、あまり主観を言及しませんが・・・

 

 

はっきりと言えるのは、自然災害を止めることは自然撹乱を止めることで、ある意味では自然破壊な部分もあると言うことです。(例えば。自然撹乱を皆無にすれば撹乱依存型種は絶滅する恐れもありますよね。)

自然撹乱によって損なわれる景観(上の例で言う、土砂崩壊により失われた森林)は、自然が壊れているのではなく自然現象だということです。

 

 

目の前にある、緑がなくなっている現象、サンゴがなくなっている現象の一部は人が壊しているのかも知れませんが、中には自然撹乱により一時的に失われているように見える場合もあるということです。

 

 

近年、自然環境への関心が高まる中で、様々な方が自発的に自然環境の保護に取り組むことは素晴らしいことだと思います。その中でしっかり自然の流れを捉えて行動していかないと、自然を守っているつもりで自然破壊をしているという状況にもなりかねないと思います。

 

 

「何が自然で何が不自然か」を捉えて、色々なモラルや社会感とのバランスを図りながら行動することが、「環境問題」に取り組む上での大きな社会の課題ではないかと個人的には考えています。